歴史の旅 日露戦争

歴史の面白さは、そこに自由勝手な創造を入れて、自分の為だけの興味の場を作り出せることだろう。
結果は既に確定されているのだから、独り善がりな想像を無責任に楽しむことが出来る。
歴史学者でも教育者でもない私は、自由奔放に責任も説得も必要としない、気侭な歴史を知る旅に出ることが好きだ。
人生を楽しむコツは、自己満足に対し、如何に多くの美味しい引き出しを用意できるかに尽きるようだ。
極楽蜻蛉の面目躍如である。



1904年2月8日開戦。日本が初めて当面した本格的戦争である日露戦争は、日本国総兵力108万人に対し死傷者37万人という多大な犠牲の中で辛うじて勝利らしきものを得た綱渡り的戦争だった。
人間に例えれば、当然に地位も名誉も金も無い青年一歩手前の少年が、経験豊富で裕福な初老の男性に喧嘩を挑んだ、我日本国の辛酸にしてどこか滑稽な歴史である。
104年前の事であった。


世界中の誰もが露国の勝利を疑わなかった中で、開戦前に日本の勝利を先見した人物がいた。
ポーツマス講和会議の調停役を務めた時の米国大統領T・ルーズベルトである。
同盟国英国ですら日本の勝利には懐疑的であった。
英国は自らの敵である独国とその同盟国露国が疲弊さへすれば自国の有利になるとの読みで、日本国を応援した。
英国建国以来の歴史の中で、現在の英米関係を除き、他国と軍事同盟を結び完全に履行したのは、今のところこの日英同盟が最初で最後である。


何よりも日本の軍部でさへ、完全勝利は望めず、いいとこ五分五分で、あわよくば四分六分に持ち込み米国の停戦勧告に期待するという、正に国家の威信どころか、生死を掛けた戦争だった。


露国内の内政不安定(革命)で辛くも勝利を得たのだが、この革命を日本軍部が支援し煽っていた事は余り知られていない。
レーニンですら日本国軍部の資金を活用していたのだ。


日本国に好意的だったのが、トルコ・フィンランド等の露国に不快な干渉を受けていた国と、迫害を受けていたユダヤ人達だった。
日本の戦争債権の多くを購入してくれたのがユダヤ資本だった。


思うに露国の最大の敗因は、時のツァリー(皇帝)ニコライ二世が、文字通り裸の王様だったからである。
正しい批判機関を持たなかった露国は、一部の官僚の自己保身や恣意的な政策で疲弊していったにも拘らず、皇帝の耳に正しい情報が入らなかった事と、時として皇帝自らが犯した過ちを、誰一人指摘し正しい道に戻す事が成されなかった事、ここに至ると思う。
正しい批判機関と、聞き入れる耳両方が欠けていたのだろう。


歴史から学ぶ。
過ちを正すには常に批判の目に晒される事を厭わない。
情報の経路と発信者の意図を汲み取る。
時代の変化に気が付く、価値観・科学技術等。
現在の経営者にも通じるものである。


歴史の旅は思考の中だけでも十二分に楽しめる、エンターテイメントである。
私はロシア極東に2年間暮らしていた。