映画 戦場に架ける橋

私の父はもう年を重ねない。
私もだんだんと亡くなった父の年齢に近づいてくる。
父が亡くなって既に20年以上経っている。
子供の頃の父との数少ない思い出のひとつがこの映画である。
曖昧なのだが私が10歳前後のことだったと思う。
父とふたりで近所の映画館に観に行った。
確か亀戸(大島)の富士映画館だったはずだ。


父は戦時中鉄道部隊に所属し機関士だった。
子供の頃我が家を訪ねる父の戦友に国鉄職員が多かったわけだ。
満州出兵から始まり、最後はビルマ(現ミャンマー)でオランダの捕虜となり帰国している。
所謂ポツダム曹長が最後の軍人としての父の位だ。


シンガポールを基点に、バンコク、ラングーン(現ヤンゴン)を経て、インドのカルカッタに終わる予定で架設されたが、その内バンコク・ラングーン間を泰緬鉄道と呼んだ。
ひょっとすると父もこの線路の上を蒸気機関車を走らせたのかもしれない。


特にヘルファイアー・パスと呼ばれる断崖絶壁の未開発の地帯では、工作機械不足と突貫工事による人海戦術のため死者が多かったという。死の鉄道と呼ばれる由縁である。
建設の作業員には日本軍1万2000人、連合国の捕虜6万2000人(1万2619人死亡)、募集で集まったタイ人数万(未知数)・ミャンマー人18万人(4万死亡)・マレーシア人(華人印僑含む)8万人(4万2000死亡)、インドネシア人(華僑含む)4万5000人の労働者が使われた。


クワイ河に架かる木造橋を英軍捕虜の使役で完成させ、連合軍特殊部隊が破壊する映画である。
日本軍の捕虜収容所所長役が日系ハリウッド俳優、早川雪洲であった。
この役者のことは父に聞いた。
当時子供の私にとってはただの戦争映画に過ぎなかったのだが、あれから40年以上経って改めて観賞して感慨を得た。


初老に掛かる規則一辺倒の厳格な英軍中佐が、英国人のプライドを賭けて完成させた橋であった。
当初こそ反目したが、完成に至るまでには敵味方というより、人間としての共通価値観すら見出してきた。
しかし戦争はあらゆる経緯を無視して、新たな犠牲者を出して橋を破壊した。
英軍捕虜にとって敵は日本軍
日本軍にとって敵は連合軍
違う。
私はハッキリ気が付きました。
日本軍にとっても、連合軍にとっても、
戦争そのものが敵だったのです。


久しぶりに父に付いてユックリ思い出してみた。
ほろ苦いが悪くない気分である。