父と小野田さんの思い出

先の日曜日に父の23回忌が行われた。
私は後10年で父の逝った年齢になる。


法事で父の妹(叔母)から、父の若い頃の話を少し聞いた。
近い内に叔母を訪ねて、もっと父の話を聞きたいと考えている。
何故か父の事が妙に思い出される今日この頃である。


そんな父との思い出になる会話の中に、フィリピン共和国ルバング島で戦後30年間も戦い続けた小野田少尉の帰国時の話がある。


小野田さんが帰国した時がちょうど私が成人した年であった。
そしてその帰国時の小野田さんの年齢が、今現在の私と同じ年齢でもある。


小野田さんの2年前に同じ様に帰国した、米領グアム島の横井伍長との比較論が主ではあった。
志願兵でもあり、ポツダム曹長とはいえ下士官として戦後を迎えた父にとっては、小野田少尉の言動と姿勢が痛いほど理解できたのだろう。
父にとって小野田さんは正に英雄だったのだ。


恥ずかしいながら生きて還ってきましたと言い、徒労に過ごした28年間に同情はしつつも、素早く社会に適合し参議院選挙にまで出馬した横井さんに対し、
戦争を外交の法律行為と規定し、自分なりの終戦手続きに拘り、誤解してたとはいえ、駐比米軍に果敢に攻撃を仕掛続けていた小野田少尉に、軍人としての矜持の残滓を見たのだろう。
帰国後半年でブラジルに移住し、天皇や首相との謁見を拒否し、義捐金等の全てを靖国神社に寄付した小野田さんに、日本人として本当の武人の姿に清廉さを感じたのだとも思う。


そんな小野田さんの最近のニュースに触れた。
ブラジル日本人会の講演で、北朝鮮拉致問題を人権で推し量る愚を説き、なぜ国権の侵害として捉えないのか、相手側から突き付けられた戦争行為でそのものではないかと。


私は常に教育こそ国家の要と考えている。
次の日本を担う子供たちに、正しい日本人としての教育が必要と考えていたが、なにをもって正しい日本人なのかと常に苦悶していた。
そんな小野田さんの主催する私塾も、私には一考の価値がある。


言わずもがなではあるが、私は軍国主義者ではない。
今の日本と、明日の日本を危惧する一日本人であり、
微力ながらも何かを成さねばと想いながらも逡巡するのみの、矮小な一日本人である。