長崎のロシア美人1

長崎での最後の夜、ホテル近くのバーで40歳代半ばの白人女性に出会った。

アルバイト従業員との事で、コロナ禍で帰国出来ずにいたらウクライナ侵攻でますます帰国できなくなったようだ。

私が店に入った時に70歳前後の3人の日本人男性グループが先客でいたが、この客の接客をしていたが、どうも彼女がロシア人との事で大きくは無いが罵倒された様だ。

私に付いた時には心なしか元気が無いというか、空元気というか、そんな風情だった。プーチンの強制代理人に指定されてしまった様だ。

ママ(経営者?)はラテン系の明るいシャキシャキの30代半ばの女性で、最初はカウンターの中にいたのだが私の隣にきて、先客と同じ様な年代の私にインフォメーションを入れてきたのか、釘を刺しにきたのか、件の彼女は日本語もたどたどしいのに日本語で政治論や愛国心を問う様な事をしたらしい。日本語と英語ならばどちらが好いかを問うとまだ日本語の方が得手らしいとの事で、日本語と私のインチキ・ロシア語で会話した。

170cm程度の私より10cm程度身長が高く、体重は同程度で猛禽類の様な鋭い容姿の壮絶金髪美人なのだ。彼女が20歳前後に逢いたかったものだが、その時は私の相手なんかする必要も無いはずだが、彼女の年齢から想定するに人格が未形成であろう10代の頃に、ソビエトからロシアへの政変があったので、政治の恐ろしさや政体や政治家のご都合主義に対する嫌悪はウクライナにもロシアにも同等に持っている筈だ。

私は30歳代後半にロシア・ウラジオストックで王立(国立?)大学の大学院の日本語専攻の学生の中でも特に優秀な20名に日本国刑法と民法を日本語で一般教養程度の精度で2年間教えていた。これも私の会社がウラジオストックに進出した際に宣伝行為(売名行為)の一環として行ったのだが、その時はソビエトからロシアに変わり10年程度経っていたが、その混乱の余波がまだまだ感じる時期だった。