春爛漫 桜満開 何故か哀れ

地球環境という言葉が巷に溢れている。
二酸化炭素とか窒素化合物が悪者として登場する。


自動車を造って国内では捌ききれず、他国に輸出しておきながら自動車の排気ガスを問題視し、二酸化炭素排出抑制とやらで、未開発地の焼畑農業を血祭りに挙げたりする。
今までにさんざん撒き散らした工業先進国といわれる国々が、これから工業化を目指す国に排出基準を定めて足枷をしておきながら、その枠の売買まで行っている。


「地球に優しい」というコピーがあるが、この言葉を聴くとつくづく人間(含む。私自身)の持つ欺瞞さと傲慢さを感じる。しかも自動車メーカーやガソリン小売会社がそう謳う姿はブラックユーモアでさえある。


地球上の食物連鎖の頂点である人間がイコール地球の主人なのか、まるで地球の主人であるかの振る舞いである。疑問も恥も持たないのか。


100(10,000,000,000)億年前に宇宙が誕生し、47(4,700,000,000)億年前に地球が誕生し、16(160,000)万年前に人間(ホモ・サピエンス)が誕生した。ちなみにあのゴキブリ君ですら3(300,000,000)億年前に既に地球に存在していたのだ。


16万年前に誕生した人間が個体数5億に達したのが現在から僅か500年前である。16世紀シェークスピア武田信玄の活躍していた時代である。
その後人口上昇カーブが急になったといっても18世紀初頭で8億人、
産業革命を迎えた以後19世紀初頭で10億人、
20世紀初頭が16億人
そして恐ろしい事に、21世紀初頭が60億人である。


人口の増加を人間社会の複雑化とするなら、複雑化の最終は崩壊である。
しかしこれは科学の進歩とやらを手に入れた人間の仕業なのだ。
人間が地球に影響を及ぼすと考えること自体が傲慢なのではないだろうか。
それとも人間は自らを地球のガン細胞と認識したのか。


かって地球上の生物の最高峰にいた恐竜は自ら招いた事態で滅びたのか。
違う。
地球のほんの気紛れの身震いひとつで滅んだのだ。
人間も同じである。台風や地震の前では無力ではないか。
僅か2000年程度の統計で4,700,000,000年(47億年)の地球の気象(気分)を計り、今年は異常気象だ云々する事に何の躊躇いすら感じなくなってしまった人間に問題はないのか・・・・・。




願わくば
花の下にて春死なむ
そのきさらぎの望月のころ


今日桜の花が満開である。
雲ひとつ無い青空を後ろに、淡い朱色の桜の今盛りと咲き誇る姿に、
ものの哀れを感じる。
桜の花が咲くと、何故か厭世的な気分になる。
木の芽時の錯乱か