ユメもチボウも無い話

日本のお家芸であるチタンの価格が、2割近く下がったらしい。
あらゆる工業製品の流通が滞っている様だ。
となれば企業は在庫調整で製品を作らなくなり、作業員は不要になる。


金融業の蹉跌が招いた不況であるので、出だしはデフレーションの様相を示すが、各国の金融政策の発表と共にインフレーションを政策としてくれば金余りになる。


当然米国などは基軸通貨を発行するので、印刷機がフル回転になるだろうと思っていたが、どっこいそんなに甘くはなかった。


昨年中にシッカリ印刷済みだった様だ。
しかも建国200年の米国が昨年1年間に刷った米ドルがその200年分のドルの総量に等しいらしい。
確かウォール・ストリート・ジャーナルの記事である。


それで中国や日本国に米国国債の買取を慇懃無礼に依頼しているらしい。
自振り手形の換金と同じである。
国家レベルの街金屋である。


日本も1万円札をバンバン増刷して買い取り資金にすれば好いのであるが、そうなれば米国と日本国間の、融通手形になってしまう。
国家レベルの財政も、街金屋のノウハウも、同じなのだ。


水ぶくれした米国国債を、強い日本円や中国元での買い取った場合は、米国のマネーロンダリングである。


通貨の発行は、国家の借金みたいなものである。
すなわち担保物件があれば、それに見合うまでの発行は是であるのだが、地球規模で考えた場合、資産の総量は変わらない。


資産が増えるとすれば、新技術によって新たに発見される資産(地下資源や食料の技術開発、宇宙開発等)であるのだが、資産の増加ペース以上に負債が大きく増えている。
負債とは、そう、人口増加である。毎年1億人規模で増大している。
1964年当時27億人と記憶していたような気がするが、2009年現在64億人である。
熱力学の法則ではないが、閉ざされた空間内での膨張は破壊のみである。
人類は遅かれ早かれ絶滅の危機を迎えるのだろう。
恐竜の絶滅同様、それは地球規模の気候の変化によるのか、宇宙からの外圧(隕石等)によるのか、それとも人間自らが招いた原因によるのかの違いのみで、結果は同じである。


地球に優しい。
何とも欺瞞に満ちた言葉であろうか。
人間の存在そのものが、地球に優しくないのである。
人間の個体数のみで見れば、5億人に達したのは僅か500年前のことである。
そして人口が爆発したのは産業革命後の過去100年以内の事である。


何とも虚しくなる様な気分であるが、それでも人間は死ぬまでは生きるのである。
インド数字のゼロ“0”とは、人類の未来を予見していたのだろう。
ゼロとは、色即是空である。
色とは形ある物である。
それは空に帰す。
正に諦観である。
2500年以上前に、インド人は地球規模での本質を見抜いていたのだろう。


事の本質を見極めれば、今なすことは今を精一杯生きることであろう。
シンプルな思考と生活様式がベストなのかもしれない。


我ながら、まったくもって、嫌な性格である。
何故、こんな事を書くのか。
私はブログを、盗み読み歓迎の日記と位置付けている。
何年後かに読み直して答えを見つけてみたい。