日本を憂う

私が社会人、即ち労働によって他人様より金銭を得て自らの生活を営むようになって30年以上になる。


1次2次と続いたオイルショックと、数年前より始まった円ドルの変動相場制で、日本経済の先が見えにくい、いわゆる不況期に私は社会人となった。


国家公務員として社会人スタートしたのだが、初任給が2万円台だった。少し曖昧だが初めて買ったスーツが1万円くらいで、仕事で必要だったオムロンの電卓が8000円位した記憶がある。


私も若かったのかもしれないが、当時は私自身もそして日本の社会一般も現在よりかなりシンプルな価値観で動いていたような気がする。


純粋に欲しい物が有り、それを手に入れるために必死に働く、その事に違和感は無かった。
この判り易いモチベーションが社会一般の風だった様な気がするし、成長の原動力だったと今は想う。


私が小学生の時に東海道新幹線が開通した。東京オリンピックも開催された。これらの費用は世界銀行からの融資によって成された。


そんな日本国は、そしていつの間にか世界有数の先進国・金持になっていった。欧米の白人国からはお金儲けだけが上手い国と嘲笑され、アジアの有色人種の国からは猿真似の下品な国と嫉妬交じりの侮蔑を受けた。


働き過ぎとの非難と共に週休2日制を遮二無二導入されたり、不要に高い航空機を買わされたり、それでも日本国の成長は止まる事が無かった。
私の父親と同年代の日本人の血と涙と汗でここまで昇ってきたのだ。
そして今、私達の年代が父親たちの後を継いで日本国の中枢を担っているのだが・・・・


私が社会人になって暫く経った1980年代位から労働の意味が変わってきた。勿論今だから言えることであり、当時にそんな感想を持った訳ではない。


私にとっては純粋な欲望を解消する手段であった労働が、自己啓発とか自己の発見とかの綺麗な言葉に置き換えられるようになり、やがてそれらの延長で競争がまるで悪であるかの如くになり、小学校の徒競走でゴール前で選手みんなで手をつないでゴールインするとか、ゆとり教育とやらで区別すら差別と曲解する輩が跋扈し、円周率を3で丸めてしまうような教育がアタリマエに成ってきた。


その結果が今の閉塞した日本国である。
周りに国々の目を気にすることなく、日本人にとって必要な日本国に帰るべきである。
軟弱や自我不足と誤解されない柔軟に他者の価値観を認める寛容さを持ちながらも、正しいと信じる道に揺ぎ無い自信を持ち、日本の神々を畏敬する敬虔さに満ちた、品性と矜持を兼ね備えた日本人を育成していかなければならない時期が来たと思う。


私には夢がある。計画と言ってもよい。それは正しい日本人を育成する事である。
私達大人の義務は、子供たちに等しくスタートラインに並ばせる事である。平等な権利を与える事である。その後は個々の子供達の子供ながらの価値観で生き抜いていくことである。
そのスタートラインに並ぶ前に基礎的な教養を等しく子供たちに与える教育が私の夢である。