忙中閑あり。それともただの懈怠。

朝の内は陽が差していたのに、日記を書く今は傘も効かぬ様な豪雨である。
最近の雨の降り方は、バンコクシンガポールの様相に近くなってきた気がする。
業務は多忙を極め、机の上には未処理の書類が山積みになっているのに、昨晩読み終えた小説から頭が離せない。


112年前三菱の創始者岩崎弥太郎が死んだ。
享年は今の私と同い年である。(生年に諸説あり。)
土佐の地下浪人の子として生まれ、坂本竜馬を信奉し海援隊で商売の技を磨き、土佐藩の商館を買取り明治4年に三菱商会を起こした。弥太郎38歳の時である。


三菱財閥の基礎となった日本郵船は弥太郎の死後完成した。そこに至るまでの三井(共同運輸)との戦いは凄惨を極めた。
士魂商才、武士の心で商いを行う。私利私欲ではなく国家を念頭に商いを行うが、先ずは個人の幸せこそが国家の発展に尽くす。と言い切り、当初は明治新政府と真っ向から戦った。


弥太郎の師匠筋に当たる吉田東洋、心酔した坂本竜馬、時代が大きく変わろうとする時、新しい価値観と奔流の中で志半ばで倒れて逝った数多(あまた)の英雄を思うと、その悔しさを理解する年齢に私自身が成って来た事を感じた。


殊更に私がこの世に生まれた理由を探し出すようなロマンチシズムは私には無いが、せめて此の世に在る内に、誰かの役には立ちたいものだと最近よく思う。


虎ですら死んで皮を残すのに、世界中の殆どの人々が意識するまでも無く、ただ生まれて死んで行くことに疑問すら持たないであろうし、私自身もそうであったのに、今の私と同年で死んでいった岩崎弥太郎主人公の小説に出会い、関わった登場人物に出会い、そんなしょーも無い事を考えた。虎どころか野良猫様と変わらぬなぁ〜今のわたしはと自嘲気味である。


年をとると勲章が欲しくなる。よく言われるが、名を残したい、社会的に認められたいというのは、食欲や性欲同様人間としての本能かもしれない。社会的に認められたとの証が勲章なのだろう。


さっきまでの大雨が気がついたら止んでいた。
やはり私は極楽蜻蛉が似合っている。
大袈裟に人生を考えるのは一時の気休めに留めるべきであろう。
雄の野良猫が何故か咆哮している。