終戦記念日

毎年この日が近づくと、TVの番組に戦争関連が増えてくる。
終戦記念日敗戦記念日と揶揄する人もいるが、事実だから構わない。


戦争を激しく忌避している私としても、日本人のひとりとして最近の韓国の自分勝手でヒステリックな論調には辟易している。
安倍首相が東京裁判のパール判事の長男と会談することを破廉恥と断じている。
当時としても現在としても世界有数な国際法学者を侮辱している愚に気が付かないのか。
パール判事は日本国を擁護したのではない、戦勝国が敗戦国を裁くこと、しかも事後法をもって裁くことを非難したのだ。
この極当たり前の法の運用の基礎を主張しただけの純粋な法学者に尊敬の気も無いのか・・・・日本が嫌いなのは致し方の無いこととしても、他国の優秀な人までも巻き込んで自分勝手な論法を展開し、それを世界中に配信するその下品な態度に激しく嫌悪するのである。


光復62周年、反省の無い日本【東京裁判】について、韓国紙曰く、安倍首相とパール判事遺族との会談に反発する社説を掲載
▽ソース:毎日経済新聞(韓国語)(2007.08.14 17:22)
http://news.mk.co.kr/newsRead.php?sc=30500001&year=2007&no=430762&sID=305


私の友人に韓国の超一流企業に役員として勤めていた者がいる。
彼曰く反日思想を叫ぶのは韓国人の中でも一部の人達で、基本的にインテリジェンスの高くない人達が多い。
所謂韓国国内の負け組みに属する人達が個人の鬱憤晴らしに反日を声高に叫ぶのだとも・・・。
韓国政府が経済政策の失敗等内政の失敗から国民の目を逸らす方便としており、マスコミがそれに乗じているのだとも・・・。
私もそう思うし、そう思いたい。
私の知る韓国人は皆親日だったと思う。



以前にも書いたが私は日本国憲法改定には賛成である。
国家の最高位である憲法であっても、国民の意思で改定可能なものにしておくべきである。


その際たるものが9条であろう、戦争放棄は世界的に見てもて最も進んだ理念である。
これは是非残しておきたい。
しかし付随する条文に現在の世界観に則さない部分がある。
放棄とは全てであるが、自衛まで放棄せざるを得ないような曲解をする輩を排除すべきであろう。


私の好きな言葉である、100万人の餓死と100万人の戦死ならば餓死を選ぶ・・・・なんとも崇高な言葉であろう。
しかしそれは可能な限りの自衛手段を講じた後の究極の選択の際に選ぶ道であり、何もしないまま、何も出来ないままで選ぶ道ではないはずだ。



理屈は抜きだ、戦争はいけない、やってはいけない。62年前に丸裸でゼロになった日本人だから言える言葉であろう。国内で一度も外国と戦火を交えたことの無い米国辺りに追従していても良いのだろうか。しばし沈思黙考する。