当社の前のウラジオストック支店長のH氏は、当時のソビエト軍の一兵卒としてアフガニスタンに駐留した。彼から当時の話を聞いていた。そんな最中に偶然レンタルビデオ店で見つけた作品である。


本当の戦災孤児マリナ・ゴルバハーリ(撮影当時13歳)をいきなり主演させた映画、学校教育を全く受けていない文盲の彼女に口述でシーン毎に台詞を伝えて撮影した。


凄まじい女性蔑視のタリバン政権下のアフガニスタンの映画である。男性の同伴が無い限り道を歩く事すら許されないイスラム原理主義教条主義)の首都カブールで、祖母・母と女性のみで暮らす少女が、家族を飢えさせない為に、男の子に変装して仕事をし、暴露され死刑判決を受ける。そんな時に現れた老人に強制的に結婚を条件に助命される。そして迎える初夜、ここで映画は唐突に終わる。


信じられない抑圧、アフガニスタン北朝鮮で産まれただけで人間はここまで不幸になるのか、余りの理不尽さに怒りよりも恐怖さへ感じてしまう。


監督のセデック・バルマク(42歳)は祖国をここまで悲劇に映すのか。
少女を告発する少年達が無邪気なだけに恐ろしさを感じさせ、中国紅衛兵を彷彿させた。


死ぬ事よりも恐ろしい生、そんな生があっていいのか、考えさせられた。


我々日本人には想像も付かない不幸の形が、世界中に蔓延しているのだろう。人間を救う筈の宗教が創り出した不幸なだけに恐ろしい。

政治が宗教を利用したり、宗教が政治に介入した時、必ず不幸が生じる。歴史が何度も証明している真実なのに繰り返えされる、人間の運命の中にある必然なのか。


アフガン零年の零年とは、これは本当のアフガニスタンの事ではないとの願望であり否定なのだろう。新生アフガンの未来の開始であるアフガン1年に期待した、強い祈りではないだろうか。