新春に思う

サラ金が我が世の春を謳歌していた頃だから10年以上前かなぁ〜
借り入れ希望者の与信審査(信用度審査)に、その年の受け取った年賀状を持参し、その枚数で決めるというのである。
ナカナカ的を得ているなぁ〜と感心した記憶がある。


今年も沢山の方から年賀状を頂いたが、毎年確実にその枚数は減っている。
私の信用度が落ちたとの見方もあるが、それ以上に人間関係の減少がそのまま年賀状の受領枚数の減少になるのであろう。
私の場合50歳前までは他人から感心される位にマメな人間であった。
ミスタービーンとあだ名が付いていた位である。
自分では今でもマメなつもりではいるのだが、やはり行動範囲が減少しているのだろう。


私は意識して努力して未知の人達には積極的にお会いする様に心掛けているのだが、説教臭いエロハゲ親父に成って来ているのかもしれない。


現在毎週土曜日にボランティアで某NPOの無料相談員を務めている。
色々な問題を抱えた人達に何らかの一助にでもなればとの気持ちでもあるし、私自身今まで周囲の人達のおかげで何とかここまで楽しくやってこれたのだから、お返しとの気持ちもある。


人に迷惑さへ掛けなければ何をやっても良い、と思っていた時期が若い頃の私にもあったが、最近それが間違っていると思うようになってきた。
人間には自ずから品性が必要であろう。それは食べ方や服装の事では勿論無い。価値観とその行動についてである。哲学といってもよいかもしれない。
これの無さが原因となる事件が多くなってきた気がする。


私の将来の夢は、正しい日本人を育成することである。何が正しいのかが問題になるのであるが、漠然とそんな事を考えて毎日を過ごしている。


日本の文化と感性を大事にしていきたい。
文化とは神への畏敬であり、感性とは恥を知る事である。


ますます説教臭い親父と嫌われていくのだろうなぁ〜
自分だって若い頃、中高年の親父は煩くてウザかったもんね。
これを書きながら苦笑いをしている。